「自分はできる」というラインが可視化できればいいのに。

他人が「自分はできる」と思うラインというのが可視化できればいいのに。

そんなことを考えまして。

 

私、趣味でヴァイオリン弾いているのですが、

プロの人もいればアマチュアもいる。音大卒の人もいれば、私のように長年やっているひと、育児や仕事が一段落したひと

様々なメンバーでやっているんですね。

 

個性も年齢もフィールドも様々なので、考え方や音も違うので

よく言えば面白い、悪く言ってしまえば難しい。

 

今日は「弾ける」と言えるボーダーって何なんだろうって考えました。

多分、そのボーダーも人それぞれだと思うのですが、これ本当に難しいです。

 

正しい音程で弾ければ弾けるのか。

テンポどおり弾ければ弾けるのか。

それぞれのパートの役割が果たせれば弾けるのか。

 

どのラインを「弾ける」のか様々ではあるけれど、ひとまず大人の集まりなのでその「自己申告」を信用するしかないのですが。

 

一応団体として

ビブラート、ハイポジションができる

みたいな力量の目安はあります。

 

ちなみに私の「弾ける」とは、楽譜どおりに弾けるってのではなく

その先の音の表現、心象だったり風景だったり空気だったり

そこまで表現できるようになることをいいます。

 

譜読みが終わり、少しずつ音の種類や音楽の運びによる弓の使い方を考えて弾くところにいます。

泣く、でも 嘆き、すすり泣く、泣きわめく、悔し泣き、嬉し泣き

それぞれ音が違って

弓先で弾くのか、弓元なのか、指板寄りなのか駒寄りなのか

毛量はどれくらいで圧は、とかキリがないものを思い描いたとおりに表現できるようになることが「弾ける」ことなのだと思います。

目の前に、それを何度も試行錯誤して音を作り出している存在がいるから

そういう風な目標になるのかなと思います。

 

ぐっと心を鷲掴みにされる音を聴いたら、やっぱり追い付きたいと思うんですよね。

追い付かなくても、一歩でも近づきたいと思う。

 

で、本題に戻ると

「弾ける!」とご自分で思っていたとしても、「いやいや、ちょっと待ってよ」と言いたくなる人もいるワケです。

音を正しく出せない、追えない、チューニング、結構基本的なことが甘くとも「弾ける」然な人もたまにいます。

練習をしていなくても「弾ける」という人もいます。

 

どこをもって「弾ける」というのかボーダーが人によって曖昧だからだと思いますが。

でも、そうなると合奏をする道はずいぶんと遠くなってしまう。

 

今回トップなので、いつも以上に弾き方を考え、作り、それを伝え、合わせて貰うようにしていきたいけど

まず音がはみ出すことのないよう、縦のラインを揃えたいし

楽譜どおりの音程で弾けるようになって欲しい。

ずいぶん先になりそうです。

 

どうやって伝えていこう。。

楽譜どおりに弾けるのは最低限のことで、自主練でやるべきだと思うのですが、、、

 

自覚がなければ成長はない。

 

穏やかに、しかし的確に伝えられるようにしたいのですが

分からないことが分からない、みたいな人がいたとして

それを理解してどう伝え仕上げていくか。

 

「できる」のライン、可視化できたらもう少し作戦が練られるんだけどなあ。。

難しいです。
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